TOEIC550からの外資勤務そしてアメリカ生活

アメリカでの暮らし、仕事、エクササイズなどを綴っています。

アメリカ生活8年目

備忘録としてブログを始めることにしました。

 

アメリカ生活8年目です。アメリカの現地企業で働いており、日中は英語しか使ってません。日本語を書くことがほとんどないので、今、日本語で文章が上手く書けなくなってることに気付いた。ブログを始めるのは日本語を元のレベルに戻すいいチャンスかも。日本に一時帰国するとかなりの人から日本語がおかしい、とか言われる始末です。

 

そもそも私は日本生まれ日本育ちで33才でアメリカに引っ越して来るまで海外で生活したことはありませんでした。英語も所謂日本の英語教育しか受けていません。そんな私が、一体なぜアメリカで8年も暮らしてて、現地企業で毎日英語ばっかり使って働いているのか、これは自分でも考えると不思議過ぎて笑えてきます。ほんとです。折に触れて、なんでこんなことになっちゃったんだろう、と運命って不思議だなーって思う。

村上春樹のやがて哀しい外国語というエッセイの中で、村上さんがアメリカ在住時に感じた、母国語以外を使って生きていくことの大変さ、哀しさ、を綴られたくだりがありますが、いつ読んでも、ああ、分かる、そうなのだ、母国語以外を使って生きていくというのは本当にそういうことなのだ、と納得します。

 

私は大学卒業後、都内で日系の銀行に2年勤めた後、欧州系銀行に転職しました。大学時代にヨーロッパ言語を第一外国語として専攻していたため、その銀行に転職しやすかったのだと思います。その銀行で、現在の夫に出会いました。彼はアメリカ人です。その後、別の欧州系銀行にまた転職し、8年前に家族でアメリカに引っ越してきました。引っ越してきた後4年は仕事が見つかりませんでした。日系企業なら結構簡単に面接が進むのです。そして結構簡単に最終面接まで行ってしまうのでした。ですが、私はどうせアメリカに来たからにはアメリカの現地起業で働きたい、と思っていましたので、日系企業に就職することはありませんでした。また、日本にいた時も外資生活が長かったため、アメリカの日系企業の面接官が、ザ・日本のサラリーマン、というきっちりスーツで、ザ・日本的な面接をするのに嫌になっちゃった、というのもありました。というのも、この街ではだいたいビーサンにショートパンツ、タトゥーもばっちりで通勤、という人だらけなのです。夫の会社では、晴れた日には、今日は晴れたからサイクリングしたいから帰る、と言って早くに帰ったり、連休の前日は、こんな連休の前日に働かなくってもいいよ、と言ってみんな帰っちゃったりするような環境でした。夫の会社が特別ゆるい、という訳でもなく、そういう雰囲気がどこの会社にもあるような街です。せっかくそんな街にいるのに、きちっとスーツを着、9時5時終わっても残業がたまにあります、というような日系企業で働くのってどうかなあ、と思ったのでした。